2003年、ランディ・ウォングさんとエイブ・ラグリマス・ジュニアさんが音楽家としてコンビを組んだとき、ふたりは故郷から遠く離れた場所で暮らす多くの人々におなじみの心情、つまりはホームシックに駆られていた。ラグリマスさんはバークリー音楽大学、ウォングさんはニューイングランド音楽院。それぞれボストンの学校に在学中で、ベース奏者であるウォングさんの弁によれば、”故郷を離れたハワイのローカルボーイという素材を音楽的にさまざまなコンセプトで表現しようと試みていた”そうだ。
こうした試みから生まれたふたつのプロジェクトが、アカマイ・ブレイン・コレクティブの名で活動したウクレレ中心のトリオ、そしてワイティキだ。ワイティキはアーサー・ライマンやレス・バクスターなどこのジャンルの生みの親と呼ぶべきミュージシャンたちに影響されたエキゾチカのカルテット。彼らは一連の大学のルーアウ、ボストン大学やハーバード大学のハワイクラブのイベントなどでそれぞれ別のグループとして演奏し、どちらが人気を集めるか見守った。「コンセプトとして、ワイティキに軍配が上がったんです」とウォングさん。
それからの20年、ワイティキはエキゾチカのリバイバルブームに乗り、卓越したパフォーマンスでその名を博した。そもそもエキゾチカとは戦後の米国で生まれた南国風のラウンジミュージックで、その人気はハワイが米国の州になった頃(1959年)にピークを迎える。「人気が高まりすぎて、’60年代に入ると次第に飽きられてしまうんです」そして、人々の関心はサーフロックなどのジャンルに移っていったそうだ。今日、エキゾチカといえば、南国をテーマにしたティキバーなどで耳にする音楽だ。
ワイティキの使命のひとつは、しばし傍流として扱われがちなエキゾチカという音楽ジャンルを芸術として確立することだ。2008年、7人組に成長したグループはワイティキ・セブンと名乗りはじめた。すでに7枚のアルバムをリリースし、ドイツやメキシコなど海外でも演奏している。なかでも特筆すべきは、伝説的なメキシコの作曲家フアン・ガルシア・エスキベルの偉業を讃え、25人のビッグバンドで演奏したことや、ハワイの音楽教育プログラムのために15万ドル以上の募金を集めた催しでハワイ・ユース・シンフォニーと共演したことなど。最近では2023年11月、ハレクラニのハウス ウィズアウト ア キーで行われたショーで、2回ともチケットは完売となった。むしろ特異ともいえる彼らのスタートを思えば、ずいぶん成長した感がある。
「ワイティキに参加して二度目のギグは、水族館で行われたバルミツバー(訳注:ユダヤ教の男子の成人のお祝い)だったんですよ」2005年に木管奏者として加入し、ハレクラニでの演奏のためにメキシコから来布したティム・メイヤーさんは振り返る。
「ポップ・アンド・ロックのダンサーも一緒でした」ウォングさんがつけ加えた。
「で、三度目のギグはザ・フキラウですよ」とメイヤーさん。「フキラウというのは、フロリダで行われるティキ・フェステバルのことです」
ウォングさんがにやりと笑う。「オハイオ州コロンビアのホット・ロッド・フラ・ホップも忘れちゃいけない。お笑いのストリップダンサーたちとの共演だったじゃないか」
ホノルル出身のウォングさんは、いつの間にかエキゾチカという音楽に触れていた。彼の祖父は、マーティン・デニーやレス・バクスターと並んでエキゾチカの大家とされるアーサー・ライマンの友人で、ウォングさんは毎週末祖父のおともでワイアラエ・カントリー・クラブを訪れ、トレードマークのヴィブラフォンを演奏するライマンのパフォーマンスを目の当たりにしてきた。「とにかくかっこいい音楽でした」ウォングさんは幼い頃に触れたエキゾチカ特有のユニークなスタイルと音を振り返る。
キッチュで風刺的で、一部の音楽マニア向け。プロの芸術家は見向きもしない。実在の場所でもなく、ただの空想上の南の海の音楽と見下されている。エキゾチカというジャンルはそんなふうに誤解されがちだとウォングさんは言う。2004年、ボストンで行われたワイティキのショーでは、ハワイ出身の法学部の学生たち数人が、エキゾチカはハワイ固有の音楽ではないと主張してピケを張った。「そもそもハワイ固有の音楽だなんて誰も言っていないんですよ」だが、ピケを張った学生たちとの対話のおかげでワイティキの源がはっきりしたそうだ。ウォングさんにとってワイティキの音楽は、戦後のハワイ文化全般を今によみがえらせる生きるタイムカプセル。魅惑あふれる旅行の黄金時代を背景に、ポリネシア、アジア、ハパ・ハオレ、ラテンなどのエッセンスが紡ぎ出す文化のタペストリーなのだ。エキゾチカは”純粋なる空想の世界”というマーティン・デニーの言葉を反映しつつ、現実逃避という側面をますます強調するために、ワイティキのメンバーは”オコンクルク”という架空の島からやってきたことにしている。そして、”オコンクルク人”の挨拶として複雑な握手を交わすのだ。
ウォングさんによれば、もっと最近のほかのネオエキゾチカのバンドからワイティキが一線を画しているのは、演奏技術の高さだという。ワイティキの準メンバーたちはいずれもその楽器の達人で、マーティン・デニー・バンドの創設メンバーを父に持つパーカッショニストのオーガスト・ロパカ・コロン・ジュニアさんのようにエキゾチカというジャンルへの造詣も深いメンバーもいる。だからこそエキゾチカ全盛期、20世紀中頃の音楽性をそのまま再現することができるのだ。「ベースはコントラバス。エレクトリックのベースギターは使いません」ハワイ・ユース・シンフォニーの団長兼CEOも務めるウォングさんは説明する。
「シンセサイザーではなく、ピアノやヴィブラフォンも使います。鳥や動物の鳴き声も、サンプリングではなく人が実際に真似ているのです」
ハウス ウィズアウト ア キーのショーは、陽気でくつろいだムードに包まれていた。おそろいのアロハシャツに身を包み、彼らは心のおもむくままにリフを重ねて演奏を楽しみ、リズムに乗って、音に身をゆだねながら、カバー曲とオリジナル曲が入り混じるセットリストの演奏を終えた。1曲のなかでもコロン・ジュニアさんはステージに持ち込んだ30以上の打楽器を巧みに演奏し分けるのだが、圧巻は彼の喉から出てくる声だ。彼が真似をするさまざまな鳥の声は、提灯が下がるホテルのシンボル的なキアヴェの木の上に舞い上がり、夜空を突き抜けるように響き渡った。
夜もふけ、マーティン・デニーとアーサー・ライマン・バンドの最後の生き残りであるハロルド・チャングさんがステージに招かれた。デニーのアルバム 『未開人の儀式』に収録されているゴージャスなエキゾチカの定番『静かな村』の演奏に95歳のチャングさんがドラムで加わると、会場は猛烈な拍手喝采で沸き返った。それから一週間たった今もまだ夢のような気がして、ウォングさんは頬をつねらずにはいられない。
チャングさんがそこにいたこと、そして共演してくれたことで、ワイティキというグループの情熱と使命が裏付けられたように思えた、とウォングさん。「エキゾチカはハワイ固有の音楽ではないから本物の芸術ではないという意見もありますが、エキゾチカにはエキゾチカ独自の世界とあり方があるんです。ハロルドさんが共演してくれたことで、おまえたちのやっていることは正しいよと言われたような気がします」