写真を専攻する若き学生だった頃のミシェル・ミシナさんは、光の重要性など考えたこともなく、むしろ色彩や構図のことで頭がいっぱいだった。だが、ある日ある教授が真っ暗な教室で授業を行なった。教授がマッチに火を灯すまで漆黒の暗闇だった教室が、小さなマッチの炎で少しずつかたどられていく。学生たちの目が慣れた頃、教授は言った。「光がなければ写真など存在しない。写真には光が必要なんだ」
その言葉はミシナさんの胸に深く刻まれ、それから20年たった今も、写真に対する彼女のアプローチの骨格をなしている。今日、ミシナさんにとって光は惹かれずにはいられないもので、撮影の道しるべであり、指標であり、対象の引き立て役であり、フレームでもある。「いつも光を研究しています」光のはかなさに美を感じるというミシナさん。「光は刻々と変わっていくもので、同じ光は二度と見ることができません。それがわかっているから、その瞬間に集中できるんだと思います」光を追いかけているから、シャッターを押すべき瞬間がわかるのだ。
ミシナさんは毎日欠かさず、たとえほんの数枚でも写真を撮る。一枚の花びらの繊細な曲線や小道を歩く友人のシルエットなど、なにげない瞬間、なにげない対象を普通のアイフォンで撮るだけのこともある。つい記録に残したくなるその衝動は、生まれつきの好奇心と、目が留まった人やものに対する感受性の強さから生まれている。そこには責任感も混ざっている。「ものごとには記録する価値があると思うんです」ミシナさんは言った。「撮影対象のありのままの美しさを残したくて、わたしは写真を撮っています」
ミシナさんが写真に出会ったのはお父さんの影響だ。お父さんは使い捨てカメラで家族の写真を撮ってはそのカメラを家のあちこちに置きっぱなしにしていた。やがてミシナさんも夕方の犬の散歩のときにそうしたカメラを持っていくようになり、ケアラケクア湾を見渡す空き地から夕日の写真を撮った。「文字どおり夕焼けの写真で、背景も何もなく、ただ空が写っているだけでした」とミシナさん。だが、そんな写真に何かをかき立てられて、彼女は撮影技術を磨くようになる。
プロとなった今でも、自分の周囲の世界をカメラに収める瞬間は胸がときめくというミシナさん。「ものも、人も、風景も、何もかもつねに変わっていくんです。その瞬間、そこにいること。写真とはつまりそれだけのことなんだと思います」
撮影対象のものや風景にレンズを向けながら、いいショットが撮れると強く感じることがあるそうだ。「光、動き、構図。その瞬間、すべてのファクターがひとつになって、何かすごく特別な感じがするんです」
ミシナさんにとって、カメラはパスポートのような役割も果たしている。「写真のおかげで普段は行かないような場所に行けたり、普段は話さないような人と話せるのがすごいと思ってます」写真家ならではのこの特権を、特に撮影の対象が無防備な気分になりがちなポートレイト撮影のときにとくにありがたく感じるそうだ。「誰かが自分をじっくり見つめて、じっくり耳を傾けてると感じることって普通はあまりないと思うので、わたしは対象としっかり向き合うように心がけています」撮影の対象の緊張をほぐすような質問を投げかけ、彼らの言葉にきちんと耳を傾けることを肝に銘じている。「写真そのものより、どこまで深い絆が築けるかが重要なんです」
「誰かが自分をじっくり見つめて、じっくり耳を傾けてると感じることって普通はあまりないと思うので、わたしは対象としっかり向き合うように心がけています」
写真家、ミシェル・ミシナ