闇の舞踏

前衛的パフォーマンスアート「舞踏」を通して、身体は言葉では語れないものを語りはじめる

文:
ユニカ・エスカランテ
モデル:
ジョン・フック
訳:
ロス・まほろ

私は腐葉土の奥深くに埋もれた一粒の種である。泥炭を含んでで湿った暗闇が私を包み込む。どれほどの間ここにいるのか、あとどれほどここに留まるのか、私には分からない。百年だろうか、千年だろうか、それとも二千年か。時の流れは何の意味も持たず、ただ過ぎていく。この土こそが、私が知る全てである。

突然感じる、一粒の雫。そして、土砂降りの雨。そこから変容が始まる。水分を吸って私は膨らみ、ついに外殻が破れる。やがて豪雨が止むと、土から私を誘い出すような暖かい温もりが訪れる。根と葉が、初めて芽吹く。太陽の熱が土に染み込み、私をほどいていく。驚きが私を満たす。そして初めて気づく、自分が一輪の花であることに。 

乾いた、鋭い手拍子がひとつ。私は現実に引き戻される。私はもはや花ではない。高校の体育館にいるひとりの人間に戻っていた。20名あまりの周りの人々も、それぞれの恍惚状態から目を覚ます。体育館の前方には玉野弘子が立っている。鮮やかなピンクのタイツと和柄のシャツを纏った小柄な身体。バンダナが白髪混じりのボブヘアーを抑えて、年輪を刻んだ顔立ちを際立たせている。73歳の舞踏の巨匠は、年齢を超えてなお、紛れもない存在感を放つ。部屋全体が彼女の一挙手一投足に吸い寄せられていく。

玉野は3日間、オアフ島で暗黒舞踏の指導を行う。舞踏とは、彼女が人生の大半を捧げてきた日本発の前衛芸術である。クラスには好奇心に駆られた初心者もいれば、舞台経験を積んだ表現者もいる。中には玉野を追ってカリフォルニア州バークレーからここまで来た者もいる。バークレーは彼女と亡き夫・黄市が、アメリカで最初の舞踏コミュニティを築いた場所である。

レンコン プロジェクトは、 玉野弘子をオアフ島に招 き、舞踏のワークショップ とパフォーマンスを実施 した。

夫妻は舞踏の創始者、土方巽に師事した。土方は1950年代の日本で大野一雄とともにこの舞踊を生み出す。舞踏は、人々が原爆がもたらした傷と向き合うための芸術的な実験として始まった。土方と大野は、古典的な日本と西洋の伝統である歌舞伎、能、バレエ等、既存の型を全て捨て去り、根本的に新しい形を追求した。そこから生まれたのが「暗黒舞踏」。その名の通り、そしてその本質においても、闇の舞だった。 

白塗りの身体、時に剃髪の舞踏家たちは、ほとんど静止して見えるほど遅い速度で舞う。振り付けは即興で、内面から湧き上がるものが所作になる。顔は感情に引き裂かれるように歪み、痛みに歯を食いしばり、声なき叫びに口が開く。四肢はねじれ、そしてほどけ、身体は言葉にならない内なる状態を伝えていく。長く埋もれていた記憶、言葉にするには生々しすぎる感情を。 

舞踏において身体は、内なる深淵を外に表す器となる。

戦争は太古の昔から繰り広げられてきた。荒廃した国も、目新しいものではない。しかし、広島と長崎への原爆投下は、人間が人間に与えうる破壊の意味を、根底から書き換えた。既存のどの芸術も、その悲劇は表現しきれなかった。だが、舞踏が身体に新たな言語を与えた。トラウマと悲嘆は、肉体を通じて現れる。生のまま、剥き出しのまま、美しさで覆い隠されることなく。そこで繰り広げられるのは、見せ物としての舞台ではなく、身体による過去との対峙である。身体は導管となり、内なる世界を立ち上げていく。

ハワイのクリエイター、メレ・ハマサキとダニエル・クロワは、2022年にロサンゼルスを訪れた際、玉野の舞踏ワークショップに参加した。やがて彼らはアート記者ノエ・タニガワと共に、原爆投下から80年の節目に、ホノルルの追悼イベント「レンコン プロジェクト」を立ち上げる。企画当初から、この追悼は舞踏なくして成り立たない、そう直感していた。 

このパフォーマンスは、ワイキキ戦没者慰霊ナタトリウムを舞台としたマルチメディア企画の一環として行われた。

玉野と過ごした3日間は、静かな追悼の儀式のようだった。私たちは、評価や善悪の判断をいったん脇に置き、身体に感情を語らせることを学ぶ。習得すべき古典的技法はない。潮を割って現れ、また潜るクジラ。芽吹き、花開く一粒の種。求められるのは、ただその状態を身体で生きることだった。ワークショップは2日後に迫ったパフォーマンスへとつながっていく。私たちの身体そのものが、鎮魂の歌を運ぶ器となる。

カイマナ・ビーチ沿いの草地。白をまとった複数の人影が、期待に満ちた観衆の間を滑るように進む。夕暮れが訪れ、闇が押し寄せ、舞踏家たちの顔を照らすのはろうそくの光だけ。太鼓が拍を刻み、踊りが激しさを帯びるにつれて狂乱さも増していく。多くの舞踏がそうであるように、目の前のこの舞いも、言葉では言い表せない。私が伝えられるのは、それが残した感覚だけ。悲嘆、畏怖の念、そして厳粛さ。

原爆について、何を言葉にできるというのだろう。世界は今もなお、その長く暗い影のなかにある。何十万人もの尊い命が失われ、その後に続く苦しみは計り知れない。おそらく言葉では不十分なのだ。おそらく、言葉では語れないものを語る術を知るのは、ただ、この身体だけなのだ。