ロサンゼルスで安定した生活とはほど遠い過酷な環境で育ったジョン・レイノ氏は、何ごとにも極端なまでに工夫を凝らす習慣を身につけていた。道具の扱いに長けていた氏は、物を分解して組み立て直しては、その仕組みを理解するのが楽しくてしかたなかった。それが仕立ての良いズボンであろうと、優雅な建築物であろうと、氏のたぐいまれな自立心と良質なデザインへの愛は、やがて氏をミッドセンチュリー家具のキュレーターという運命へと導いていった。
高校時代のレイノ氏は金属加工の授業が好きで、高校生活最後の年になると溶接会社で働き始めた。卒業式のあと、たった2日間だけ休みを取った。「史上最短の夏休みだったよ」と苦笑する氏は、そこから23年間、フルタイムの溶接工として週6日働き続けた。レイノ氏と双子の兄弟のジェフリー氏は、カスタム製のトレーラー牽引装置を手がける事業「ヒッチクラフターズ」を、オレンジ郡で10年以上も切り盛りし、成功していた。だがレイノ氏は40歳の節目となる2006年に、この事業から身を引いた。「本当に疲れ果てていたんだよ」と彼は振り返る。「何年も前に、カイトサーフィンの雑誌でハワイのとても美しいビーチの写真を見て、それがずっと頭の片隅にあったんだ」。生活用品と少しずつ集めたミッドセンチュリーモダンの家具をコンテナにぎっしり詰めると、レイノ氏はオアフ島のカイルアビーチ近くの家に引っ越した。それは雑誌で見たあのビーチと同じ海岸沿いの場所だった。

「小さな羽根をひとつ帽子に差すと、それがいつの間にかどんどん増えて、気づけば道具でいっぱいの 矢筒になっているんだよ」
ジョン·レイノ氏、職人
引退したばかりのレイノ氏は、カイトサーフィンに打ち込むかたわら、ミッドセンチュリーモダンの家具や美術品、インテリア雑貨の収集に没頭した。島内のあちこちで思いがけずたくさんの逸品を見つけたレイノ氏は、すぐにここハワイが、自分の情熱を注ぐ趣味を極めるために絶好の場所だと悟る。「ハワイは1950~1960年代に発展を遂げました。当時、飛行機でやってきた多くのジェット族がハワイに引っ越してきて、一緒に家具も持ち込んだのです」と氏は説明する。 優美な曲線と無駄のないフォルムが特徴的なデザインは、知的で機能美を兼ね備えた新しい美意識を生み出した。1940~1960年代後半にかけて製造され、洗練された、ときに遊び心のある家具は、人間を主軸とするデザインへと向かっていた時代の流れを映し出している。ミッドセンチュリー期の建築家たちが家具デザインにも携わるようになると、フォルムと機能性を兼ね備えた芸術的な室内空間が、この時代の象徴となったのである。
レイノ氏は、デンマークの家具職人ニルス・オットー・モラー、有名なイームズチェアで知られる建築家兼デザイナーのチャールズ&レイ・イームズ夫妻、そして真珠湾に沈んだ米海軍の軍艦から回収された金属合金を取り入れた屋外用家具シリーズで名高い建築家ウォルター・ラムのデザインに魅了された。何年にもわたって島の強い日差しや湿気にさらされていたため、彼が見つけた家具はどれも大がかりな修復が必要だった。しかし、専門的な修理作業を依頼できるところはほとんど見つからなかった。そこで、レイノ氏は、自宅ガレージで修復作業に取り組み、一部を自分用に保管すると、残りは二束三文で売却していったという。


手本となる説明書もなく、風雨にさらされた家具は、ひとつひとつがまるで違ったパズルのようだった。レイノ氏にとっては、溶接工時代に培った、試行錯誤しながら粘り強く問題を解決していく能力を発揮する良い機会となった。ある日は金属加工に、また別の日は木材の研磨や塗装剥がしに没頭したかと思えば、オリジナルの化粧板を生かすために他の職人と協力することもあった。特に難しい作業に直面したときは、皮革加工やステンドグラス、椅子張りなどの専門家に頼んで、彼らの作業を間近で見ながら自分の技術を磨いていった。「小さな成功を積み重ねていくうちに、それらがどんどん蓄積されていって、やがて必要な技術をひととおり身につけることができたんですよ」と氏は付け加える。
骨身を惜しまない氏の努力の結晶がミッドセンチュリーモダンデザインの愛好家たちの注目を集めるにつれ、レイノ氏の趣味はやがて、買い付け、修復、販売という本格的な事業へと急速に発展していった。期間限定ショップでの成功を重ねたレイノ氏は、2017年には「ハワイ モダン」として正式に事業を立ち上げた。いまでは、氏はホノルルのカカアコ地区に工房を構え、地元のアートとアクセサリーのブランド「ローラ ピラー ハワイ」のデザイナーである妻のクリステン氏と共同経営するカイルアのショールームで、収集した家具の数々を展示販売している。
レイノ氏のインスタグラムアカウント(@hawaii_modern)では、修復作業の様子を低速度撮影したタイムラプス動画で紹介しており、氏の技術的かつ創造的なプロセスについての洞察を垣間見ることができる。ある投稿では、氏がウォルター・ラムの1940年代のブロンズ製テーブルから、歪んだホンジュラス産マホガニーの天板を取り外す様子が映し出されている。新しく製作したチーク材の天板は、将来いつか再仕上げをする際に簡単に分解できるように接着剤ではなく、ほぞ継ぎと呼ばれる木工接合技術を使ったと説明する。ほかにも、氏は収集品にまつわる歴史の一端を投稿で共有することがある。たとえば、フィンランド人デザイナー、エーロ・アールニオの1967年製のキャンディ型パステルチェアのセットは、「かつて太平洋を見渡す屋根付きのラナイで使われていた」もの。1955年製のクッション付きウォルター・ラムのラウンジチェアは、ホノルル空港で使われていたという。
2025年7月のインスタグラムの投稿では、レイノ氏がニルス・モラーのモデル78ダイニングチェアの紙紐製座面を編む様子が紹介されている。その投稿の中で氏は、デザイナーの孫娘であるキルステン・モラーが、2008年の家族の誕生日パーティーで氏に編み方を実演で披露し、集まった人々に説明をしてほしいと頼んできたことを回想している。何事にも全力で取り組む氏らしく、そのキャプションには「胃が痛くなったり、夜も眠れなくなったりするようなことでも、『イエス』と答えるたびに、最高の思い出ができ、たくさんのことを学ぶことができるのです」と書かれている。





