ワイアナエ バレーの住宅街の中に、ひっそりと佇む1ヘクタールほどのオーキッド農園。目印となるのは、郵便受けの横に質素な黒い看板があるだけである。道から少し外れた場所で何千ものオーキッドが丹精込めて栽培されているのに気付く人はほとんどいない。農園に足を踏み入れると、果てしなく並ぶオーキッドの芳醇な香りと鮮やかな色が人々の感覚を魅了する。天候に恵まれたワイアナエの乾燥した気候は、オーキッド栽培に向いている。そして、栽培家のジェレミー・ドミンゴさんが、水やりや日よけの調整を行い、花が最高の状態で咲くように管理している。
「育てること、そしてどんな花になるのかを見届けるのが好きなんです」と、個々のオーキッドが持つ美しさと造形の可能性を最大限に生かすことに喜びを感じるドミンゴさんは話す。彼にとってオーキッドを育てること、つまり展示するのにふさわしい花を咲かせることを追求する過程は、最終的な結果と同じくらい充実したものだ。「賞を狙っているわけじゃないんです。ただ、自分が育てた花を誰かに見てもらうのが好きなだけです」
ドミンゴさんは、家族経営でオーキッドの栽培販売を行うS&Wオーキッズの2代目だ。父親のスタン・ワタナベさんは、ハワイ島出身で、かつてプランテーションで働いていたが、1980年代にオーキッドの販売を始める。ドミンゴさんの叔父たちは、ハワイ大学マノア校で園芸学を学び、ドミンゴさんの父と母のカーメラさんに、大学で学んだ知識を余すことなく伝授した。1990年にドミンゴさんの両親は、現在オアフ島で最大級となったオーキッド農園をオープンした。この農園は、今ではハワイ州内に残る数少ないオーキッド農園のひとつとなっている。
若い頃のドミンゴさんにとって、農園での仕事はただ単に車 のローンを返済する手段に過ぎなかった。しかし今では、毎朝5時に農園に向かい、店を開け、職人の腕を発揮して園芸作業に取りかかる。株分け作業や害虫対策のスプレーを噴霧したり、花が傷ついたり色が変わったりしないように綿球で支えたりと常にオーキッドの手入れをしている。ドミンゴさんは「美しいオーキッドを育てるには、一瞬たりとも気を抜けません」と語る。
3万品種近くあるオーキッドは、世界で最も種類が豊富な植物のひとつだ。曲線を描く茎、際立って左右対称な花弁、そして開いた唇弁は、まるで精巧に作られた芸術作品のようだ。花の色は多様で、一般的なピンクや紫、白から珍しい赤や青といった色調の品種もある。また花弁の模様も斑点のあるものからストライプやグラデーション模様まで。小さいものから大きなものまでサイズもさまざま異なるが、多くの品種が1年に1度か2度しか開花せず、希少で儚いものである。細い花弁や波打った花弁、あるいは角ばった花弁など、とくに希少なオーキッドには、数千ドルの値がつくこともある。
「美しいオーキッドを育てるには、一瞬たりとも気を抜けません」
ジェレミー・ドミンゴ、2代目オーキッド栽培業者
しばしばステータスシンボルとして見なされるオーキッドは、世界中の収集家たちを魅了してやまない。1960年代、オーキッド産業の中心地となったハワイには、その美しい花を一目見ようと、あるいは運よく手に入れて自らのコレクションに加えようと、多くの旅行者が訪れた。オーキッド栽培の最盛期、ドミンゴさんの家族は、オーキッドの新たな品種の交配やクローン技術の先駆者として業界を牽引した。その功績によってハワイ島は「オーキッドの島」と称されるようになる。「私の家族は、オーキッドの世界で新たな道を切り拓いてきました」とドミンゴさんは語る。彼の親族の中には、その名がオーキッドの品種名になった人もいるという。
今日でもオーキッドは価値の高い植物とされているが、オーキッド栽培農園を経営していくのは厳しく、もしかすると消えゆくビジネスかもしれないとドミンゴさんは語る。厳しい農業規則に加え、水道代や土地の高騰のために、オーキッド栽培は非常に費用のかかる事業となっている。さらに島から島への花の輸送は、栽培農家にとって最大のハードルとなっている。ほんのわずかなカビや害虫の卵が確認されるだけで、積荷すべてが没収されることもある。その損失はドミンゴさんをはじめとする栽培農家が負担しなければならないのだ。
それでもドミンゴさんはオーキッドの栽培をやめることはない。販売用ではなく、鑑賞用の珍しい品種を増やし続けているドミンゴさんは、どの花が客の心を惹きつけるのかを見るのが楽しみで、花がもたらす喜びに誇りを感じている。「自分の興味を引かれるもの、目に留まったものを選べばいいんですよ」とドミンゴさんは言う。「オーキッドを見る目は、人それぞれ違いますからね」