音楽を紡ぐ名匠

情熱と気迫でハワイ交響楽団を導く指揮者、デイン·ラム氏。

文:
キャスリーン・ウォン
モデル:
クリス·ローラ、 ハワイ交響楽団提供
訳:
島有希子

「交響曲第1番 ハ短調 作品68」の静かな序奏が響き始めると、ブラスと弦楽器の織りなす劇的なハーモニーが、光に満ちたニール S ブレイスデル センターのコンサートホールに嵐のような緊張感を生み出す。指揮者デイン・ラム氏は舞台中央に立ち、目を閉じて、頬をわずかにふくらませながら、眉間には皺を寄せている。鋭く空を切るような手の動きで、彼はハワイ交響楽団の84人の奏者たちを、ドイツの巨匠による初の交響曲の壮大な世界へと力強く導いていく。 

 やがて、ラム氏の一瞬の鋭い動きとともに、音楽がふっと途切れる。演奏を止めた彼は、長年のブラームス研究から得た深い洞察を奏者たちに伝える。それは単なる譜面の解釈にとどまらず、作曲家の人生観や哲学にまで踏み込んだ内容だ。「優れたオーケストラは、指揮者がいなくても一体感を保つことができます」とラム氏は語る。
「指揮者の役割は、ただまとめることではなく、船の舵を取ること。つまり、方向性を示し、インスピレーションを与えることなのです」

ラム氏は20年以上に亘る指揮経験を携え、ハワイ交響楽団の情熱的な音楽監督と芸術監督として、その手腕を発揮している。オーストラリアの音楽一家に生まれ育った彼の人生には、いつも音楽が寄り添っていた。両親はピアノやギターを演奏し、バレエ鑑賞にもよく出かけていたという。そんなラム氏が音楽を職業として意識し始めたのは、高校に入ってから。さまざまな楽器に触れられる環境に恵まれたことが、大きなきっかけとなった。

2023年、ハワイ交響楽団の音楽監督と芸術監督に就任するためオーストラリアからハワイへ移住した指揮者デイン·ラム氏は、すぐにこの地に馴染み、居心地の良さを感じたという。

高校最終学年の頃、ラム氏はジャズピアニストを目指すことを漠然と考えていた。そんなある日、担当の教師から「指揮をやってみないか」と声をかけられたのが、全ての始まりだった。「直感的に『これだ』と思いました」と彼は当時を振り返る。ちょうどその頃、オーストラリアでは、若手指揮者を育成するための政府支援プログラム(現在の「オーストラリア指揮アカデミー」)が立ち上がったばかりだった。ラム氏は狭き門を潜り抜け、そのプログラムに選ばれた数少ない才能ある若者
の一人だった。 

ラム氏の指揮への情熱と才能は、彼が師事していた名指揮者たちの間でも、早くから注目を集めていた。特に、当時シドニー交響楽団とローマ歌劇場の音楽監督を務めていた著名なイタリア人指揮者ジャンルイジ·ジェルメッティは、その才能を高く評価していた。18歳のとき、ラム氏はジェルメッティに見いだされ、シドニーで初の公開交響曲演奏を指揮する機会を与えられた(幸いなことに、ラム氏自身は若すぎて緊張しなかったと振り返っている)。クイーンズランド大学で指揮を学ぶ傍ら、ラム氏は三度の夏をイタリアのトスカーナで過ごし、
ジェルメッティのもとで厳しい指導を受けた。その経験は厳しくもあり、彼の指揮者としての基礎を築く重要なものだったという。 

「私たちは、地元の人たちが安心して訪れ、普段とは違う何かを感じられる場所でありたいと願っています」

デイン·ラム、指揮者

 「私のこれまでのキャリアは、全て小さな幸運の積み重ねでした」とラム氏は謙虚に語る。ニューヨークのジュリアード音楽院、そしてイギリス、マンチェスターのロイヤル ノーザン音楽大学を経て、彼は中国の西安交響楽団の主席指揮者に就任し、現在もその職にある。 

キャリアを重ねるなかで、ラム氏はパンデミック後、オーストラリア各地やスコットランド、オランダなどでの公演を指揮し、エネルギッシュなステージパフォーマンスで高い評判を得た。素早い動きや感情を映し出す目の表情、そして音楽のあらゆるニュアンスを体現する豊かな表情で、聴衆を魅了している。指揮者にとって“楽器”とは自らの体であるとするならば、ラム氏が語るように、「ほしい音を手で“見せる”」という行為には、まさに芸術と呼ぶにふさわしい奥深さがある。

指揮者は、一つ一つの演奏で音楽を独自に解釈し、表現していく。
ハワイ交響楽団は、太平洋地域の才能を発掘し、紹介することに力を注いでいる。

パンデミック後、ハワイ交響楽団は新たな音楽監督を探していた。125年の歴史を持つこのオーケストラは、ラム氏がオーストラリアで行っていた取り組みに共鳴し、その姿勢に学びたいと考えていた。アジア系アメリカ人や太平洋諸島の音楽家たちの才能に光を当て、
「太平洋のオーケストラ」としての地盤を築こうというビジョンに強く惹かれたラム氏は、ゲスト指揮として招かれたのをきっかけに、そのまま音楽監督に就任することとなった。2023年、妻と共にオーストラリアの北クイーンズランドからハワイへ移住したラム氏は、「この土地そのものにすっかり魅了されたのです。まるで最初からここが自分の居場所だったかのように感じました」と語る。

ラム氏が描くハワイ交響楽団のビジョンは、プログラム構成、地域との連携、そして文化的な発信を通じて、クラシック音楽をハワイの現代の暮らしに根付かせていくことにある。「私たちは、地域の人々にとって“安心できる場所”でありたいのです。日常ではなかなか味わえないような体験ができる、そんな場を提供したいと思っています」と彼は語る。最近では、地元のドラァグクイーンが登場する華やかなステージや、太平洋地域在住の現代作曲家の楽曲を織り交ぜたベートーヴェン企画、さらには『スター ウォーズ』や『インディ ジョーンズ』
といった人気映画の音楽を生演奏で届ける特別公演など、従来の枠にとらわれない多彩なプログラムを展開している。

ラム氏の毎日は多忙を極めている。ハワイ交響楽団をハワイのコミュニティのために存続させるべく、事務作業や寄付者とのやりとりなど、活動資金の確保に奔走する日々が続く。だからこそ、彼は意識的に
「音楽のための時間」を確保しなければならない。楽譜を読み込み、詩を味わい、自然の中でインスピレーションを得る。そうした時間こそが、自らを音楽に立ち返らせる大切なひとときなのだ。「その時間を確保するには、相当な意志が必要です。けれど結局のところ、全ては音楽のためにある。音楽こそが、私たちの活動の核なのです」と彼は強調する。

カリスマ性あふれるステージ 上での存在感で知られるラム 氏は、20年以上の指揮経験を ハワイ交 響 楽 団にもたらして いる。

2025年のハパ シンフォニー シリーズ最終公演がハワイシアターで開催され、マウイ出身のジェフ·ピーターソンと地元の伝説的ギタリスト、ケオラ·ビーマーらがステージに登場すると、会場には興奮と期待が入り混じるざわめきが広がった。ラム氏は、いつものカリスマ性を抑え、指揮台から彼らのスラックキーギターの柔らかな響きに主役の座を譲る。指先が弦を優しくなぞると、ピーターソンは「ハワイアン スカイズ」の旋律を穏やかに奏で始めた。この曲は、2011年にアメリカで公開された、ハワイを舞台にした映画『ファミリー ツリー』で知られている。 The Descendants

やがてフルートやチェロの音色が旋律に重なり、オーケストラの響きが劇場全体に感動の波を広げていく。その瞬間、主役は演奏者でも、指揮者でもない。本当に重要なのは、演奏者と観客の間で交わされる、力強いエネルギーのやりとりなのだ。「観客が共鳴し、私たちと一体になっていると感じられる瞬間があるんです」と、ラム氏は語る。