もう9年も前のことだが、ライアン・ミヤシロさんは渋谷の小さなリスニングバー「JBS」に初めて入ったとき、どんなレコードがかかっていたかを今でも覚えている。ピート・ロックとC.L.スムースだ。90年代前半のヒップホップのジャジーなサウンドに驚いたのではなく、それを演奏していた小林カズヒロさんが70歳過ぎに見えたからだ。JBSのオーナーで唯一の従業員の小林さんは、その店で週7日働いていた。
ホスト兼バーテンダー兼音楽プロデューサーの彼は、バーカウンターの裏にずらりと並んだ1万枚を超えるレコードのコレクションから音楽をかける。レコードを選ぶと、舞台照明が主役を照らすように、アルバムのジャケットをランプの下に置く。会話は少ない。主役はあくまでも音楽で、酒は二の次だ。ミヤシロさんはすっかりこの店の虜になった。「今まで見たこともないような素晴らしい光景でした」と彼は言う。
それ以来、ミヤシロさんは日本を訪れるたびにJBS(ジャズ、ブルース、ソウルの略)を訪れるようになり、友人のクリス・ナカノさんやダニエル・イングさんも誘って、その感動を共有した。2022年1月、3人はホノルルのチャイナタウンに、JBSにオマージュを捧げる、ハワイ初のリスニングバー「EPバー」をオープンした。戦後の日本でブームとなった作家や知識人が通う「喫茶店」を思わせる落ち着いた雰囲気で、オーディオ愛好家のための空間だ。店内には、ハイエンドな音響機器と無名のレコードも含めた豊富なコレクション。おしゃべりは控え目で、リスニングのがメインといったルールはあるものの、EPバーはそれほど厳しくはない。「ここは日本ではないですから。アメリカでそういうやり方は通用しないんです」とミヤシロさんは言う。
EPバーは、最近ロサンゼルス、ロンドン、バルセロナなどの都市に増えつつある新感覚のリスニングバーで、ヒップな音楽好きのためのスペースだ。モーニンググラスコーヒーのヌウアヌ通り店の奥にある広さ56平方メートルのバーは、小さな書斎のようなインテリアが隠れ家的な雰囲気を醸し出している。カスタムデザインされた内装は、洗練されていながらも温かみがあり、バーの脇にはヴィンテージのオーディオ機器やレトロなJBL L100のスピーカーが置かれている。お約束通り(EPとはエクステンデッド・プレイ・レコードのこと)、音楽が主役だ。バーの奥には、約2,000枚のレコードが並ぶライブラリーがある。「サイケデリック、ドゥーワップからロック、ハワイアンまで何でもありますよ」とミヤシロさんが言うように、EPバーのサウンドセレクターは、友人や音楽愛好家で構成され、バーのレコードに加えて、各自のレコードコレクションからもプレイする。才能あるDJのように、「彼らはその場の空気を読むのがとてもうまいんです」と彼は言う。
アルコールはビールかウイスキーしかなく、値段も1杯500円というJBSとは違い、EPバーはカクテルバーとは呼べないまでも、より充実したドリンクのセレクションが揃う。「チャイナタウンには、おいしいオールドファッションやマティーニを飲める店がたくさんありますから」とバーディレクターのサム・トラスティさんは言う。
そうした店を真似ることはせず、EPバーがウイスキーに特化したドリンクメニューの開発で目指したのは、「この空間にふさわしい、高級すぎず、質の高いものを提供するバランスを見つけること」だとトラスティさんは言う。バー・レザー・エプロンの共同設立者のジャスティン・パーク氏とのコラボレーションで生まれたハイボールセレクションには、独自に調合したグリーングレープ酸を使った「巨峰ハイボール」もある。一番人気のカクテル「EPバーオールドファッション」は、トラスティさんの作った黒ゴマ入りバーボンを使用している。
トラスティさんは、何年も前にJBSを訪れた経験がきっかけで、EPバーに入社した。ある晩、リスニングバーというものを知らずにふらりと立ち寄った彼女は、ミヤシロさんと同じように、その非日常性と、誰かのリビングルームの延長のような親密さに衝撃を受けたという。「この業界に長くいて、いろいろな場所を旅して、何百というバーを訪れましたが、あの店がいつまでも心に残っています」と彼女は言う。「ハワイにも、他のどの都市にも、ああいう店はありませんでした。その後、日本を訪れた彼女は、何の変哲もないビルの2階にひっそりと佇むJBSに再び足を運ぼうとした。「『レコードバー』、『レコードのあるバー』など、あらゆるキーワードでグーグル検索したのですが、どうしても見つからなかったんです」。それも彼女がこのバーに惹かれる理由だと教えてくれた。それゆえにハワイでリスニングバーがオープンすると知ったとき、そこで働けることは夢のようで、自分なりの方法でやっとあの場所に戻れる気がしたという。 トラスティさんが一番驚いたのは、小林さんの謙虚さだった。彼は、JBSがミヤシロさんや彼女自身のように、気が付けば何年も通い続けている客たちの心に、どれだけ深い印象を残しているかということに気づいていないようだった。EPバーが目指しているのは、そんな不思議な肩肘張らない親密さなのだ。トラスティさんが回想するに「彼は、『僕は男だ。レコードをかけたいんだ。その間にここに座ってビールを飲みたいならどうぞ』という感じなんです」。
EPバーは、ビールかウィスキーしかアルコールの選択肢がない東京のリスニングバーとは異なり、カクテルバーとは言えないまでも、幅広い種類のドリンクが揃っている。