4月のある朝、ワイキキはまるで絵葉書のように晴れ渡っていた。サ ンフランシスコを拠点とするクム・フラ(フラの指導者)であるパトリック・マクアカネ氏は、『カマレフア:シェルタリング・ツリー』の1か月にわたる稽古期間の3日目を迎えたばかりだった。この作品は、ハワイ王国初の外交官だったティモテオ・カマレフア・ハアリリオの実話に基づくオペラで、別の意味でも歴史にその名を残すことになる。それは、ハワイ・オペラ・シアターが65年にわたる歩みの中で初めて手がけた委嘱作品であり、ほぼ全編がオレロ・ハワイ(ハワイ語)で構成された世界初のプロによるオペラだったのだ。5月にニール・S・ブレイズデル・コンサートホールで3夜にわたって上演された『カマレフア』は、65歳のマクアカネ氏にとっても、オペラの演出家と振付師という新しい分野への挑戦だった。輝かしいキャリアをもつ彼でさえ、思わず頬をつねりたくなるような心境だったという。12人の主要キャスト、40人編成の合唱団、フルオーケストラ、そしてサンフランシスコの自身のハラウ(フラの教室)「ナ・レイ・フル・イ・カ・ヴェキウ」のダンサー5人を飛行機で呼び寄せるという、制作規模の大きさにいささかたじろいでいた。
「パトリック・マクアカネ、本当のところ、君にはオペラの演出なんて分不相応じゃないか」と、彼は内なる批評家の声を真似て言う。マクアカネ氏は、この1か月間借りているワイキキのアパートのリビングルームに座っていた。自分が育ったカイムキ地区からも、そう遠くはない場所だ。「自身に疑問を抱いていたとは言いたくありません。でも、どうすればいいのか戸惑っていたんです」
マクアカネ氏が、未知の世界に踏み込んだのは、これが初めてのことではなかった。10代の頃、ロバート・カジメロ氏の「ハラウ・ナ・カマレイ・オ・リリレフア」でフラを学び、1980年代半ばには恋人のいるサンフランシスコに移り住んだ。そして、誇り高く既存の枠にとらわれないこの街の気風に、すぐさま魅了される。1985年に立ち上げたハラウ「ナ・レイ・フル・イ・カ・ヴェキウ」に情熱を注ぎ、独自のフラのスタイルを築き上げていった。現代的な劇場手法、華やかな衣装、ハワイアン音楽でない音楽、そしてエイズ問題に立ち向かうACT UP(AIDS Coalition to Unleash Power)といった団体から学んだことを、伝統的なフラという芸術に吹き込むことで、マクアカネ氏の作品は、見過ごされがちだったハワイの歴史を重厚さと独自の感覚をもって照らし出そうとしてきた。彼は、このスタイルを「フラ・ムア」つまり「進化するフラ」と呼ぶ。この功績が認められて、2023年には、権威あるマッカーサー「ジーニアス」フェローシップを受賞した。ハワイ先住民の文化実践者として初めての受賞となった。



「彼のサンフランシスコのハラウを見てきた経験から、パトリックなら 『カマレフア』を演出できる、プロジェクトに大きく貢献してくれるとわかっていました」と、2019年からハワイ・オペラ・シアターの総支配人兼CEOを務めるアンドリュー・モーガン氏が語る。モーガン氏は、以前サンフランシスコ・オペラで11年間働いていたことがある。1996年、マクアカネ氏のキャリアの転機とみなされる先駆的な「ナ・レイ・フル・イ・カ・ヴェキウ」の作品『ザ・ネイティブズ・アー・レストレス(先住民は不安)』で、初めてマクアカネ氏の作品に触れた。
「それはハワイ文化への抑圧と消えかけていたフラについての物語で、言葉遣いは実に劇場に相応しく素晴らしいものでした。パトリックさんほど、上手にストーリーを語れる人を、私は他に知りません」と、ナ・レイ・フル・イ・カ・ヴェキウの作品を20本ほど観てきたモーガン氏は語る。「彼には舞台を見る目があります。そして、それが作品をより引き立てるのです。彼は、たくさんの小さな断片を使って、ひとつのストーリーを織り上げていくことを知っているのです」



2001年、モーガン氏はマクアカネ氏にハワイを舞台にしたオペラのアイデアがないか持ちかける。マクアカネ氏は、すぐにハアリリオを思いついた。当時、まだあまり知られていなかった王室秘書官でカメハメハ3世の生涯の友だったハアリリオについては、ハワイの歴史家で親しい友人でもあったカウイ・サイ=デュドイット氏から聞いていた。マクアカネ氏によると、サイ=デュドイット氏はハアリリオの伝道者さながら、十分に知られていなかった彼の功績をできる限りの人に伝えて回っていたという。その中でも、マクアカネ氏が特に注目したかったのは、1842年の合衆国、英国、ベルギー、フランスへの使節団だった。それは、併合から島々を守り、ハワイの主権国家としての地位を承認する条約を各国から取り付けるための使節団だったという。そして、この成果により、最終的にハワイはその後49年間に渡り、国際社会で独立国として認められ、その地位を保持できた。しかし、それは同時にハアリリオの命を奪うことにもなる。1845年、ボストンからハワイへ戻る旅の途中、彼は36歳でこの世を去った。
「愛国心というなら、彼は文字通りハワイのために命の危険を冒したんです」と、マクアカネ氏は語る。「彼の不屈の精神とハワイへの愛が、はっきり見てとれるのです。国への愛、人々への愛、アイナ(大地)への愛を示した人でした」


リハーサルの初めの頃、陸に上がった魚のような心地だったというマクアカネ氏だが、やがて何かが噛み合ってきたという。それは、「このストーリーが実を結ぶところまで導いていけるほど、自分はこのストーリーをよく知っているんだという思い」から生まれたものだったと、彼は語る。「つまり、このストーリーを熱意をもって語れることです。長い間親しんできたこのストーリーが、歴史の片隅に掃き寄せられていたところから、まさかオペラになるとは思ってもいませんでした」
振り返ってみると、どれほどさまざまな場所にフラが連れていってくれたか、マクアカネ氏は驚くという。「まさに伝統的なホイケ(発表会)から、砂漠のバーニングマンで開催される盛大なゲイのパーティーまでだよ」と、彼は語る。では、『カマレフア』は、その中でどこに位置づけられるのだろうか。「この作品は、今、自分の人生において、とても重要で、不可欠なものとして、唯一無二の場所を占めているんです」と、作品の文化的かつ歴史的な意義を強調しながら彼は語る。「これだけは格別なのです」 Kamalehua fall? “This is now solidifying its singular place in my life as something really important and crucial,” he says, stressing the cultural, historic significance of the show. “This one stands alone.”


