溶岩の狭間で

エリン・ラウの継承:
噴火の深さ、秘められた力のほのめき。

文:
文=マシュー・デクニフ
モデル:
写真=ジョサイア・パターソン、写真提供=エリン・ラウ

 もしも物語が告白であるならば、この映画「Inheritance(継承)」は告白の内容を理解するに至るまでの葛藤を描いたものだ。主にハワイ島カラパナ地区の溶岩台地で撮影された18分の短編映画は、ヒロにある父親の家で息子を育てながら、自然写真家として何とか生計を立てている若き日系ハワイ先住民の青年、ケルシー・アキオカの姿を追っている。

 武谷碧さん演じるケルシーが、躍動的なキラウエア火山の溶岩流を巧みな技術で捉え、シャッターを切っていく。ケルシーは、撮った写真を縮小して絵葉書にし、生活のために観光客に売りつける。観光客は絵葉書が高いと値引き交渉を迫る。このやりとりが、世の中における自らの居場所についての彼の中で渦巻く言いようのない不満につながっているのは明らかである。暮らしの1コマを切り取った、少し不透明な描写は、ハワイを故郷と呼ぶことの複雑さを表現している。幾重にも重なり、すさまじかった植民地時代の歴史や採掘産業、そして経済的により豊かな生活を求めて、この土地から逃げ出したくなる衝動が常に頭をよぎる。そのすべてが、日々の現実と自らの意識と絡まり、さらに複雑になっていくのであった。

「幼い頃の私にとって、映像制作は言葉にできない事柄をかみ砕き、理解するためのツールでした」と、当作品の監督であるエリン・ラウさんは語る。オアフ島カハルウ地区で育った内気な少女は、10歳になる前には、ビデオカメラや編集ソフトウェアの使い方を覚えた。そして、小学校4年生になると、父親が運営するハワイアンスラックキーギターの非営利財団のために、プロモーションビデオを撮影するまでになっていた。放課後には、お気に入りのアニメのシーンを編集して、YouTubeに公開することを趣味にしていたという。

 ラウさんは、こうした専門的な技術を駆使して、「10代の不安や初めての失恋」といった思春期の典型的な体験にまつわる短い物語を紡いだ。そして、ギレルモ・デル・トロの魔術的な写実表現に影響を受けたと言う。やがてチャップマン大学で映画を専攻したラウさんは、さまざまなジャンルの映画から影響を受けた。その瞑想的な物語運びや、共感できる登場人物に感化され、ケリー・ライカートや是枝裕和を憧れの監督として挙げる。ラウさんが言うように、彼らは「たまたまカメラがそこを通り過ぎただけという、誰かの暮らしがのぞき見える窓」のような映画を制作している。「私は、地に足がついて、人生に密接した、彼らの作品が大好きなのです」と彼女は語る。

「Inheritance(継承)」は、控え目な演技、そして多くを語ることなく制作された。ラウさんが憧れる数々の作品のDNAを受け継いだかのように、その感性と内に秘めた感情を映し出している。その結果、トライベッカ映画祭への参加を果たし、更には2022年ハワイ国際映画祭でメイド・イン・ハワイ最優秀短編賞に輝いた。作中に登場する移り気な登場人物たちやパンデミックを通して、より色濃く浮き彫りとなった作品のテーマである孤独や絶望感は、共同脚本家で長年の共同制作者でもあるジャスティン・オオモリさんとの「非常にディープかつプライベートな会話」を通じて生まれたものだという。ハワイ出身でロサンゼルス在住の映像作家であるふたりは、たしかにハワイは実際に遠い場所だが、心理的にもハワイとその文化に対して距離感を覚えていた。「私のハワイ先住民としてのアイデンティティが、ますます手の届かないものになっていくようでした」と語ったラウさんは、ロックダウンがその断絶感をさらに増幅させたと付け加えた。

 静かなヒロの街でギャラリーを営む溶岩写真家の息子として育ったオオモリさんの生い立ちを参考に、ふたりはすぐさま脚本を書き始めたという。「オオモリさんは、父の撮影のために溶岩台地に重い機材を運びました。そして『ロレックスの時計を身に着けて値下げ交渉する』観光客に、苦労して撮影した写真を販売する父の姿も目の当たりにしたのです」とラウさん。「Inheritance(継承)」を通じて掲げた彼らの野望は、祖先たちが費やした労苦や犠牲を認識することであり、また同時に「その過程で、次の世代が得たものと失ったものについて振り返ること」だったと彼女は語った。

 20世紀初頭のハワイのサトウキビ・プランテーションで畑を耕す日本人移民の古い映像が、作品の冒頭に流れる。これは、ハワイの領土経済が搾取的な産業の上に成り立っていたことを示唆した厳粛な場面である。やがて、この情景は、主人公のヘッドライトが放つ孤独な、そしておそらく希望に満ちた光の輪によって遮られる。暗闇のなか、彼はヘッドライトの明かりを頼りに、目的地であるキラウエア火山の山頂噴火地点を目指し、荒野の溶岩台地をつき進む。

 この場面では、ラウさんの映像作家としての現在の関心が垣間見える。世代間のトラウマ、語られてこなかった傷、土地とその土地への帰属意識といった目に見えない領域に踏み込んでいるのだ。また、これまでの作品とは異なり、本作では男性主人公を軸に物語が展開する。これは、ラウさん自身が、自らの性別を理由に女性だけを描くことに囚われていないことを示している。今、彼女は、静かなる自信と共に「コミュニティの淵で、世界のどこにも居場所を見つけられずにいる」登場人物を照らし出すことに情熱を燃やしている。