籐(ラタン)は自然の恵みであり、豊潤でありながら、ディアスポラである。厳密には、籐はアジアやアフリカそしてオーストラリアの熱帯林に生育する棘のあるヤシ科の植物だ。その種類は550以上にものぼるという。
熱を加えることによって硬い繊維を曲げて、肘掛け椅子を作ったり、傾斜をつけて寝椅子、捻ることでコーヒーテーブルを作っ たりすることもできる。 剥がした皮の部分は、籐編みや家具などの接合 部をきつく巻くのに利用される。 縦に切り出した籐の芯は、籐家具に織り込まれる。
ラタン·クリエーションズのオーナーであるアティン·モンローさんは、インドネシアのジャワ島で、籐の家具やバスケットに囲まれて育った。 「軽くて丈夫で、一生使える籐製品は、私の国では非常に人気が高 いのです」と、個人で収集しているバリ島のアートコレクションを壁に飾 ったショールームで彼女は語る。 アカシア材のアームと籐のフレームを 組み合わせたソファ、濃い色のステイン塗料を使った籐製コーヒーテーブル、金属製のエンドキャップと特注クッションがアクセントになったク ラシックな背の低い籐椅子など、彼女の周りにはさまざまな籐の家具 が並んでいる。店の外には、修理待ちの籐製品が積み上げられている。 近ごろ、修理の依頼が増えているそうだ。
籐家具は、1848年にはすでにハワイで販売されていたという。当時の新聞「ザ·ポリネシアン」紙に掲載されたS.H.ウィリアムズ&カンパニー社の広告には、「中国から新入荷! 日用品……編笠、籐の椅子」とある。 1920年代には、籐家具がラナイ(パティオやベランダをハワイでは一般的にこう呼ぶ)に好適な家具として販売され始めた。 アティンさんの夫、リチャード·モンローさんがラタン·クリエーションズをオープ ンしたのは、今から44年前。 アティンさんは、インドネシアでの商品製 造を提案した。 そして、同社のカスタムデザイン製品は、現在もインドネ シアで生産している。
「Rattan: A World of Excellence and Charm」の著者で、インテリアデザイン会社「ソーン·ブリテン」の創設者であるルル· ライトルさんによると、籐は少なくとも15世紀には、中国を始めとした 東南アジア以外の国々でも使用されていたという。17世紀に入ると、アジアとアフリカを横断する貿易ルートの植民地化に成功したオラン ダやイギリスが、軽量の梱包材として籐を使用した。やがて編み込みや カゴそして家具製作の可能性を見出して、籐の輸入を始めたのだった。 英国のエドワード朝時代やフランスのベル·エポック時代、そして米国 の19世紀末は籐家具の黄金時代だった、と彼女は綴っている。第二次 世界大戦中には、籐家具は太平洋諸島に駐留する米軍関係者に人気 だったそうだ。
ライトルさんが籐に興味を持ったのは、彼女が子どもの頃だった。1920年頃に兄が描いた、ケープタウンでゆったりとした籐の椅子で本を読む祖父の肖像画に触発されたという。「10代の初めに籐のバ スケットや小さなテーブルを手に入れました。そして次第に大きな椅子 やサマーベッドをコレクションするようになったのです」と語る。自身が 経営するインテリア会社「ソーン」のためにエドワード朝の籐製ソファ を再現したいと思った彼女は、イギリスに残る最後の籐家具の工房で 働き始めた。 間もなく彼女は、籐というダイナミックな素材を使った伝統的な家具からインスピレーションを得て、新しい製品をデザインする ようになった。
デザインが豊富な籐家具は、数世紀に渡り重宝されてきた。 たとえば、フランスを代表するメゾン·ドラッカーのビストロ·チェアは、曲げ籐のフレームに籐編みの座面と背もたれを編み込んだもので、1885年 から作られている。 孔雀が羽を広げたようなピーコックチェアは、20世紀初頭のフィリピンで、欧米からの観光客向けにマニラの刑務所の受 刑者によって最初に作られた可能性が高いという。 ハリウッドのデザイナー、ポール·フランケルは、1940年代に彼のシグネチャーであるプレッツェルという正方形のラウンジアームチェアをデザインした。 アブラ ハム、ウェグナー、ジオ·ポンティといったミッドセンチュリー家具のメーカーも、籐ならではの流動性を幾何学的かつ流麗な効果として取り入れた。今でも、1980年代半ばから1990年代初頭にかけて米国で人気を博したテレビコメディ「ゴールデン·ガールズ」に登場するアールデコのリビングルームセットのような籐家具を求める顧客が店にやって来る、とアティンさんは語る。
自然界における籐の生育地を考えると、広く熱帯地域で籐製品 が見られるのは理にかなっている。素材としての可能性だけでなく、爽やかな使い心地とエキゾチックな魅力に惹かれ、籐家具を好んで採り入れた帝国主義的なファン層の好みが、さまざまな形で籐家具のデザインに反映されている。熱帯の諸島であるハワイも、同じように歴史的 影響を受けていた。一年中穏やかな気候で、屋内外での生活が日常の ハワイでは、籐製の家具が使用され続けている。
アティンさんによると、以前はオアフ島にも籐製品の専門店が少 なくとも15軒はあったという。 籐製品を扱う店は減ってしまったが、彼女の21歳になる娘のモニカさんは、フルタイムでラタン·クリエーションズのビジネスを続けたいと熱望している。 モニカさんは現在、夜と週末 に店で母親を手伝っている。 「私は小さい頃からこの店の中を歩き回っていました」と彼女はショールームの机のかげから話す。「ここは私の人生のすべてなのです」