ハワイ報知の新社屋は角ばったデザインの建物に汚れひとつないガラス製のドアと床、すべてがあるべき場所に配置されていて、とても日本的な印象だ。それはまるで東京のニュース報道局が空港近くにある工業地帯のカリヒの高速道路とホノルルのモノレールの高架下にエアドロップされたかのようだ。ハワイで発行されている唯一の日本語日刊紙であるこの新聞社では、スタッフ全員が熱心に仕事に励んでいて、セントラルエアコンの音が聞こえるほど静かだ。
この日、ハワイ報知は夏の盆踊り、東京のコロナウイルス感染者数、そしてハワイ州内の予備選挙について取材していた。ハワイと日本の政治は、この新聞が得意とする分野でもある。午前4時から午後4時まで働くハワイ報知の編集局長の金泉典義さんは、仕事の真っ最中だ。彼は昼過ぎまで共有フォルダに入った記事の編集作業を行い、それをPDFに変換すると、廊下の先にある2列に並ぶ巨大な印刷機の間に置かれたコンピューターにサムドライブを差し込む。新聞はたった15分で印刷され、翌日の配達に間に合うようにオアフ島西部にある配送センターへと送り出される。
ハワイ報知はオアフ島を中心に約2,500人に配布されていて、電子版にもほぼ同数の購読者がいる。「ハワイ報知は、ハワイの年配層と若い世代をつなぐ役割を担っています」と同紙の広告・プロモーションマネージャーのグラント・ムラタさんが説明してくれた。ハワイ報知の年配の読者の多くは同紙を読んで育ち、新規購読者は日本から移住してきたばかりの人たちが多いという。
だが多くの新聞と同じく、ハワイ報知の購読者数も減少の一途をたどっている。「読者数が減っているのは、人が亡くなっていることも影響しています」と語るのは、21世紀においてビジネスモデルの進化が迫られる日刊新聞の採算性を維持するという困難な任務を託されているハワイ報知社の吉田太郎社長だ。「それでも今のところ、紙媒体の廃刊は考えていません。熱心な読者の方々は、自宅に配達される紙媒体を好まれるのです」
新聞は3つのセクションに分かれている。ハワイのニュースの日本語記事、日本のニュースの日本語記事、そして日本のニュースの英語記事だ。「地元のニュースを常に優先しています」と金泉さんは言う。
先日、ハワイ日本文化センターでは、同紙の初代編集長であり、20世紀初頭にハワイの日系移民のコミュニティ作りに貢献したフレッド牧野金三郎氏の功績を称えるイベントが行われた。1877年に横浜で日本人の母と英国人貿易商の父の間に生まれた牧野氏は、日本語と英語ともに堪能であった。1899年にハワイに移住し、プランテーションで働いた後、1901年に牧野薬局を開業した。
彼は兄や当時オアフ島で最大の邦字紙であった「日報時事」の編集長であった相賀安太郎氏らと「増給期成会」を設立。1909年にはプランテーションで働く日本人労働者の組合を結成したために投獄された。
1912年に創刊された「ハワイ報知」は、ハワイの日本人労働者の声を反映する媒体として、学校での日本語教育や市民権獲得の戦い、労働争議をはじめ、1932年のマシイ裁判のような衝撃的な事件記事を取り上げるようになった。第二次世界大戦中、軍部が多くの日本語新聞社を閉鎖する中、ハワイ報知は厳しい検閲を受けながらも存続し続けた。それはハワイに住む日本人にとって極めて重要な時代であった。人種差別撤廃や砂糖プランテーションの労働組合の運動が盛んになり、日系二世兵士たちが戦場で勇敢な戦いぶりを見せ、日系人がより収入の高い専門職に就くようになっていた。ハワイ報知はそのすべてを報道した。牧野氏が亡くなる1953年頃には、彼が取材した日系人コミュニティはハワイの有力な民族グループになっていた。
編集者たちはスチール製のファイルキャビネットの中から1978年の夏にハワイ報知に掲載されたニュース記事が収められた本を取り出して見せてくれた。当時のハワイの住民の平均年収は1万ドル強。1ドル=201円の時代で、ガソリン代も高かった。 各島では、小選挙区制が敷かれていた。7月5日に開かれたハワイ州憲法制定議会では、先住民擁護、多民族民主主義、環境保護といった日系人コミュニティやハワイアンルネッサンスによる主張の多くが法律に盛り込まれた。
多くの日系人が成功を収めるようになっていった一方で、日系社会は依然として過去の法的差別と向き合っていた。1980年代、ハワイ報知は戦時中に抑留された高齢化が進む日系人による口述史を記事化し、アメリカ政府による賠償金の支払いや1943年から1946年まで日本人が抑留されていたホノウリウリ日系人収容所跡地の国定史跡指定にも一役買った。
同紙はこれまで一貫して、ジャーナリズムの客観性を保つことを心がけてきた。「日系人と日本人の意見は一致しないことが多いんです」と金泉さんは言う。日系アメリカ人の読者は日本の政治家の曖昧な発言や回答の拒否を意味深長と解釈しがちだが、日本人の読者は煽るような発言や不快感を避ける手段と受け止める人が多い。これは日本人の曖昧さによるものだとムラタさんは言う。「記事は中立的な立場で書かなければならないのです。それには時間がかかります」
1日分の記事を編集するのには約60時間かかり、翻訳作業にも取材と同じくらいの手間がかかる。同紙の編集部は「場の空気を読む」ことの大切さを強調する。それは周囲の人の気持ちやニーズに気を配るという日本文化に根ざした習慣である。「ハワイ報知の読者にとってこの新聞は日本と海外のコミュニティを結ぶ生命線なのです」と吉田社長は語る。「ハワイについてもっと知りたいと読んでくれる日本人観光客の方も多いのですが、ハワイ報知の読者のほとんどはハワイに住み、日本人でありながらハワイを生活の拠点としている人たちです。日本人であることを誇りに思わせてくれる日本語こそが人々の心を繋いでいるのだと思います」