陸や海の上を風に乗って舞い上がるハワイ先住民伝統の凧「ルペ」。かつては、あらゆる形や大きさの凧がハワイの空を彩っていた。こういった凧は娯楽としてのみでなく、釣りや天気予報、スポーツ競技の道具としても使用されていた。伝説の半神半人マウイが名人だったと知られているが、ハワイの凧揚げの習慣は、西洋人たちのハワイ到来以降、ほぼ廃れてしまっていた。だが今日、一部の現代アーティストたちの間で「ホオレレ・ルペ(凧作り)」への関心が再燃しつつある。
「それは私が長い間、ずっとやりたいと思っていたことでした。というのも、ハワイの凧に使われている主材料がカパだから」とハワイ島で育ち、現在はニューメキシコに住むカナカマオリ(ハワイ先住民)であるカパ職人、レフアウアケアさんは言う。ハワイのモオレロ(物語)やオレロノエアウ(ことわざ)には凧にまつわるものが多くあるにも関わらず、レフアウアケアさんによれば「私たちの知る限り、ハワイ先住民の凧の見本は一つとして残っていない」のだという。
そこで、レフアウアケアさんは、ネイティブ·アート·アンド·カル チャー財団からの助成金を活用し、太平洋各地の伝統的な凧がどのように作られ、どのような材料が使われ、どのように組み立てられていたのかを徹底的に調べ始めた。試行錯誤の末、レフアウアケアさんはハウ(ハイビスカス)の枝とオヘ(竹)を合わせた骨組みに、カパの帆、ハウの樹皮で作られた紐を用いて、6点のハワイ先住民の伝統的な凧を再現した。レフアウアケアさんの凧は現在、ジョージア州アトランタにあるロバート・C・ウィリアムズ製紙博物館に2点が展示されており、10月にはセントラル・ワシントン大学にも展示される予定だ。
ルペは娯楽のためだけでなく、漁や天気予報、スポーツ競技の道具 としても使われた。
従来、ハワイの凧は、ルペ・ラー(丸い太陽の凧)、ルペ・ホク(星の凧)、ルペ・ヒヒマヌ(マンタの凧)、ルペ・マヒナ(三日月の凧)といったように、その多様な形にちなんで名前がつけられている。組み立て終わると、レフアウアケアさんはそれぞれの凧に合うデザインを選び、サステナブルな原料を使用した染料と絵の具で模様をつけていく。「私の膨大な染料コレクションにある色の中から、私がいいなと思った色、そして凧のモチーフに取り入れられているハワイの神々を象徴する色をもとに選んでいます」とレフアウアケアさんは話す。
カウアイ博物館館長のチャッキー・ボーイ・チョックさんは、新聞紙でできたハワイ式の凧で遊んで育った。彼は1900年代初頭に生まれた祖父、パパ・デイヴィッド・ナレフア・カハクさんからハワイの伝統文化である凧揚げを知り、年長者からホオレレ・ルペの技術を学んだ。自然界と同調しながら暮らしていたチョックさんの祖父は、凧を揚げることで、豊漁に恵まれる時期を予測できた。「ある風が吹くと、それは祖父にもうすぐカレパの雨が降ることを告げていた」とチョックさん。「その雨が降るときは決まって、ネフ(ハワイのカタクチイワシ)がヘエイア湾やカネオヘ湾内を泳ぎ回ることを祖父は知っていたんだ」。
チョックさんは、彼の家族、特に祖母が大切にしていた伝統的なカパ製の凧について、「トゥトゥ(祖母)の凧を揚げたことは一度もありません。彼女はその凧を揚げることを許しませんでした。それはカプ(タブー)だったのです」と振り返る。チョックさんは「私の一番のお気に入りは、ルペ・マヌ(鳥の凧)でした」と話す。
レフアウアケアさんがネイティブ・アート・アンド・カルチャー財団の助成金プロジェクトのために凧を制作している間、彼女のパートナーであるカナカマオリのペーパーアーティスト、イアン・クアリイさんは、余分の材料を活用して凧を制作した。ハワイ島のペトログリフからインスピレーションを得たクアリイさんは、幅1.5 m x 6.4 cm、長さ1.2 m × 1.04 mの巨大なルペ・マヌを作った。「一番大変だったのは、カパの布の伸縮性と張りを見極めることでした」とクアリイさんは言う。「それでも最終的に完成させることができ、本当に誇りに思っています」。彼はこの凧を展示する予定はなく、あくまでも文化的な目的で使用してもらいたいと語る。
助成プロジェクトは終了したものの、レフアウアケアさんとクアリイさんは今後も凧作りを続けていくという。「凧は、カパ職人としての私の仕事に、これからもずっと関わり続けるものだと思っています 」とレフアウアケアさんは語っている。