ピタカス・チョップ・アートには、カンタ(インドの屑布をつなぎ合わせた布)やデニム、シルクといった一風変わった布の端切れを使った着るアート作品が沢山あり、布マニアにとっては宝の山だ。だが今日の店内には、いつもとは違う雰囲気が漂っている。今週、オーナーのリサ・ヴィームケンさんが年一度の財布やバッグの製作を行うことになっていて、スタジオはいつもに増して混み合っている。それは彼女にとって、精神的に疲弊してしまうほどの大仕事で、スタジオはアフリカ、インド、日本など世界各地から集められた沢山のアップサイクル・ヴィンテージの布で埋もれている。ヴィームケンさんのバッグは非常に人気があり、一つとして同じものがない。一つ一つの作品をユニークなデザインに仕上げるため、ほとんどの布が型紙なしのフリーハンドで裁断されているのだ。
「もとの生地を無駄にしたくないの。型紙を使うと、たくさん無駄が出てしまうのよ」と彼女は言う。「だからバッグのサイズや形は一つ一つ違ってくる。似たような形に仕上がることもあるけど、型紙は使っていないわ」。
穴の修繕やかがり縫いを施して生地の持つ特徴を生かすことで、ヴィームケンさん独自のパッチワークスタイルが生まれる。彼女の作品は日本に古来から伝わる、使い古しの布やぼろ切れを縫い合わせた 「ボロ」が大きなインスピレーションとなっている。日系人の多いハワイのローカルにとっても、使い古された、安っぽい、不潔なものを指す 「ボロボロ」は、馴染みのある言葉だ。そのイメージからは、近年ボロが世界の一流ファッション界にお目見えしていることは連想しがたいが、実際、Issey Miyakeやルイ・ヴィトンといったハイエンドブランドもボロにインスピレーションを受けたデザインを発表している。
日本のデニムブランドのKapitalは、精巧なパッチワークや刺し子刺繍を施したジーンズやジャケットで熱狂的な人気を集める。長い歴史を持つボロの洗練された職人技を生かした成功例である。ボロ風のパッチワークがされた爽やかなコットンシャツなど、環境に配慮した衣料品を扱うWorld of Crowのような現代ブランドにとっても、ボロのデザインはファストファッションの使い捨て文化に代わるものである。自分が生きている限りは何度でも修理に持って来ていいと、購入する人に言うヴィームケンさん。ボロの伝統は、長く着られ、大切にされるものを作る彼女のようなデザイナーたちの手によって、その布の丈夫さと同じくらいしっかりと受け継がれている。
ボロの歴史は、日本の江戸時代にまで遡る。その起源は、貴族の華美な衣装ではなく、極寒の北国の農民の作業着である。植物繊維でできた服を着ていた農民たちにとって、綿の登場は画期的な出来事であった。暖かく、しなやかで、着心地がよく、弾力性のある綿花はすぐに需要が高まったが、彼らには手が出ないほど高価で希少なものだった。綿花の需要が増すに従い、商人から農民へのボロ布の売買が盛んになり、農民はその端切れを使って衣服を作ったり、修繕や補強をするようになった。 貴重な木綿の衣服は、何十年も何世代にもわたって長く着れるように何度も縫い直され、刺し子という複雑な刺繍で補強された。こうやって寿命が延びた衣服は、何層にもなって重くなり、全体が刺し子の列で覆われていた。着られなくなった衣服は、掃除用の雑巾や布団の詰め物、食べ物の包みなどに再利用された。それすらも使えなくなると、再び布を裂いて織り込む「裂き織り」という技術で布地はリユースされた。
「傷んで使えなくなってしまった生地も、糸一本すら最後まで無駄にしないの」と日本におけるボロの歴史と現代の復活について語るのは、ホノルルにある「てまりアジア太平洋アートセンター」の共同設立者であるアン・アサクラさんだ。「もったいないという言葉は、基本的に何も捨ててはいけないという教えです。食べ物も、お金も、気持ちも、服も、何一つ無駄にしないということなの」。
ボロには、保存と再生、機能性と創造性、モノの価値への敬意、そして今あるものに別の可能性を見出す力が詰まっている。侘び寂びの概念と同じように、不完全で儚いものに美を見出すことなのだ。
私たちが話してから1週間が経ち、ヴィームケンさんは今年のバッグの製作を終えた。その出来栄えは目を見張るものがあった。濃いブルーのデニム生地のバッグには、縞模様の入った真っ赤な布が重ねられ、底にはメタリックな花柄のシルクが覗く。伝統的なボロがそうであったように、ヴィームケンさんの作品は常に機能を優先する。彼女は十分な資金がなかった若いころに裁縫を始め、布地が買えないときにはもらった端切れをつなぎ合わせて作品を作っていたという。生地の切れ端が持つ美しさを彼女は今も忘れてはいない。それらの着物を着ていた人や木綿の上着を着て働いていた人はとうの昔に亡くなっているが、彼らが着ていた衣服の色あせや擦り切れた端の部分に、彼らの面影が残っている。
「着物を切るなんて、冒涜だ!」と言う人もいるかもしれない。だがアサクラさんはそうは思わない。「誰の目に触れることもなく、箪笥にしまい込んだままでおくほうがよっぽど冒涜的じゃないかしら?それより家族で共有する方がいいでしょう?おばあちゃんが作った布団カバーみたいにね。そうすれば、誰もがその一部を手にすることができるし、誰かがそれを何かに作り直すこともできるわ。大事にしまっておいてはもったいないですからね」。