故郷である日本を離れ、ハワイで新たな人生を歩み始めて間もな く、埋橋幸広さんは、ある養蜂家と出会った。そして、その養蜂家は、埋橋さんのその後の人生を変えることになる。埋橋さんは、兵庫県で小さな養蜂業を営んでいたが、2009年にオアフ島にやってくると、ほどなくしてマイケル・クリックスさんがオーナーを務めるマノア・ハニー・カンパニーで職を得た。
医療寄生虫学と昆虫学を学んだクリックスさんは、養蜂にも科学者としての好奇心を向けた。「時々、ワイングラスを片手に、自分の巣箱の近くに座って、金色に輝く光がチラチラと揺れながら出たり入ったりするのを眺めていると、感嘆せずにはいられないのです」と、クリックスさんは、2008年の新聞記事で養蜂への情熱を語っている。


美術学校を卒業したばかりで彫刻家だった埋橋さんは、鉄筋、ファイバーガラス、プラスチックといった、かつて彫刻制作に使っていた素材を改めて思い起こした。彼が心を強く打たれたのは、自然のものでありながら永遠に続く「何千年経っても、腐ったりすることのない黄金色の霊薬」を扱うという発想だ。彼は、養蜂をある種の芸術として見るようになっていた。「(それはまるで)花を追いかける、美しいパフォーマンスのようなものなのです」と埋橋さんはいう。「この世に存在する、どんな芸術よりも美しいのです」
それはまるで花を追いかける、美しいパフォーマンスのようなものなのです。この世に存在する、どん な芸術よりも美しいのです」
埋橋幸広、養蜂家

2014年に引退したクリックスさんから事業を引き継いだ埋橋さんと妻の大田エリカさんは、オペレーションをマノアからワヒアワへ移す。最初の6年間、埋橋さんは蜂蜜に専念し、年間9トンほどを生産していた。そして、パンデミックになると、試験的にミード(蜂蜜酒)を作り始めた。それは、発酵させた蜂蜜を水と酵母、そしてハワイ産の果物と一緒に蒸留して作るものだ。
今では、ミード生産は事業の中でも大きく育ちつつある部門となった。埋橋さんとスタッフは、巣箱から蜂蜜を掻き出す作業、木の枝から果実を摘み取る作業、そして完成した製品の瓶詰めからラベル貼りまで、すべて手作業で行なっている。再生木材を使って直売店「ハニーハウス」もつくった。波型のトタン屋根がかかる屋外のバーエリアには、ミード用のタップを12個設置した。「ハニーハウス」は、テイスティングや学び体験、そしてミード醸造所ツアーのハブとなっている。


マノア・ハニー&ミードでは、ミリラニ、ワイピオハイツ、ノースショアのハレイワ付近を含む、島内4か所に100個の巣箱を設置している。見学ツアーで訪れるのは、4か所目の、醸造所から車で8分程のウィットモアビレッジの農園だ。そこでは、ミツバチたちがクリスマスベリー (別名ピンクペッパーコーン)やアルビジア、そして近隣の庭や農地に咲くさまざまな花を受粉させている。埋橋さんは、農園で生産される百花蜜を「ペレ(ハワイの火山の女神)ゴールド」と名付けている。
クリスマスベリーの木立の向かい側、ちょうど農園の端に6段の木箱が積み上げられた巣箱がある。養蜂の概要説明で、ツアーの参加者たちは実際に女王蜂を見て、(女王蜂との交尾が主な役割の)雄蜂や働き蜂(花蜜を集め、巣を守り清掃し、女王蜂と幼虫の世話をする雌蜂)の役割を学び、蜂に刺されないための養蜂家の秘訣を知る。意外にも、それは頭からつま先までの防護服ではない。もちろん、そこに住む6万匹の蜂に囲まれると防護服は心強く感じられるのは否めない。


見学ツアーは、醸造所に戻って終わりとなる。見学者は蒸留エリアを通り抜け、ハニーハウスの外側にある木陰で緑豊かな中庭へと案内される。そこで、果物とクラッカーの盛り合わせに、近くの「スイート・ランド・ファーム」の山羊のチーズを添えた軽食を食べる。一緒に楽しむミードは、軽くて発泡性のあるものから、濃厚でカラメル風味のものまでさまざまだ。
発泡タイプの定番ミードには、パイナップルサワー、リリコイセッション、ジンジャーハニーホッパー、パンチ4(ドラゴンフルーツ、ライム、マンゴー、リリコイのブレンド)といった、弾けるような風味が揃う。季節限定となるが、ドリアン、グァバラベンダー、オレンジロースマリー、ゆず、ジャバプラムなどもある。ジャバプラムは、繁殖力の強い外来種の果物で、そのまま食べると渋みが強すぎるが、ミードにすることで、酸味と胡椒のようなスパイス味が楽しめる。


ラム樽で1年熟成させた「ポー」は、より伝統的なスタイルのミードだ。その中でも、最も際立っているのはハニースピリットで、ブランデーのように蒸留し、アメリカンオーク樽で2年間熟成させる。それは、まるで上品なスコッチウイスキーを思わせる味わいで、スモーキーというより滑らかで、蜂蜜の微かな風味さえ感じさせる。ハニースピリットを加えたポーは、シェリー酒のようなデザートミードになっている。
ミツバチの世話をしながら、埋橋さんは、芸術家として長い間頭から離れなかった問いへの答えを見つけ出した。「美とは何なのかを突き止めたかったのです」と彼は語る。「彫刻を作る代わりに何をすれば美になるのか? そしてわかったのです、行為だということが。いかなる行為も芸術になり得るのです」


