共振の場

ハワイ大学マノア校が誇る民族音楽学の宝、
無限のイマジネーションの証。

文:
ミッチェル・クガ
モデル:
ジョン・フック
After retiring from UH Mānoa in 2011, Dr. Ricardo Trimillos saw it as his kuleana (responsibility) to continue overseeing the university’s ethnomusicology collection as a volunteer.
2011年にハワイ大学マノア校を退官したリカルド・トリミロス博士は、同校の民族音楽学コレクションをボランティアとして管理していくことが、自分のクレアナ(ハワイ語で「責任」の意)であると考えている。

蛍光灯に照らされて佇む金属製の棚が8台、あたりにはどこか古本屋を 思わせる匂いが漂う。ハワイ大学マノア校の民族音楽学部がこれまで 収集したコレクションは、一見するとやや地味だ。しかし、1980年代か らこのコレクションを管理しているリカルド・トリミロス博士には、この 部屋がなにより輝いて見えるのだという。博士が棚を開けると、そこに はトカゲの皮で覆われたパプアニューギニアの太鼓や、中国の翡翠の 銅鑼が収められている。コレクションの一つひとつの楽器が遠い場所や 遠い過去そして知識への入り口になるのだと、トリミロス博士は力説する。 そこには、80年代に日本人ビジネスパーソンが開店したもののすぐ に倒産してしまったレストラン「太鼓」のオークションで競り落とした太 鼓もある。1万ドルはする太鼓をはるかに下回る価格で入手できたという。小さな鳥の笛のコレクションは、鳥の音を奏でるものではない。 博士によると、「鳩などの鳥に取り付ければ飛び立つときに音が出る」ものなのだというから面白い。

民族音楽学の先駆者であるバーバラ・B・スミス教授が1958年 に設立した楽器や付属品そして舞踊用具などのコレクションは、今で は約2,600点にもなる。 カリフォルニア州出身で、2021年に101歳で 亡くなったスミス教授は、ハワイ大学が音楽学部を設立しつつあった 1948年、マノア校でピアノと音楽理論を教え始めた。1960年代に大 学院生としてスミス教授に師事したトリミロス博士は、「当初、ここは一 般的なクラシック音楽を教えるだけの西洋音楽の学部でした。 しかしス ミス教授は、ハワイには日本やフィリピン、そしてもちろんハワイといっ た地域のさまざまな種類の音楽がたくさんありながら、それらの音楽が 大学のカリキュラムに含まれていないことに気づいたのです」と話す。

そこで、スミス教授は音楽学部の活動範囲を広げることを使命とし、最終的には民族音楽学部を設立するに至った。トリミロス博士によ ると「初めて大学に採用されたハワイ先住民」である著名な詠唱者であり作曲家でもあるジェームズ・カウペナ・ウォン氏を教壇に迎えることで、スミス教授はフラのプログラムの発展を図った。 また、アジア・太平 洋地域を広く旅して、各地の音楽家と親交を深め、現地の楽器を譲り受 けたり、購入したりするようになり、民族音楽学部のコレクションが誕 生したのである。現在では、アジア・太平洋地域の楽器を中心とした大 学レベルの民族音楽学コレクションとしては、米国最大を誇っている。

歴史的な意義があるとはいえ、このコレクションは決して博物館の棚に展示するものではないとトリミロス博士は強調する。楽器は演奏 すべきものだ、と。彼は、コレクションの管理を2つの段階に分けて考え ている。 第1の段階では、作曲や舞踊、雅楽やジャワ島のガムランなどの 民族音楽の授業に参加する学生を中心に、楽器の活用を促進する。(隣の広い部屋には、1972年にインドネシア・ジャワ島の宮廷から購 入した1,360キロほどのブロンズ製のガムランが展示されている)。 棚は、「小型イディオフォン(木製)」「両面ドラム」などのカテゴリー別に仕 分けされ、コレクションはまるで図書館の蔵書のように整然と収蔵され ている。

入口にあるコンピューターの目録には、何が貸し出され、どこに 何を収納したかが記されている。 第2の段階は、新しい楽器を入手し、コンピューターに登録、そし て修理をするなど、コレクションの維持である。2年に1度、トリミロス博 士は「読み合わせ」と称して、失くなったり所在不明になったりした楽器 をチェックする。昨年は約30本の楽器の紛失を記録した。この作業に は2か月ほどを要するのだという。 トリミロス博士は1968年からアジア研究学部の学部長を務め、民族音楽学部でも教鞭をとった後、2011年にハワイ大学を退官した。 しかし、少なくとも大学が新しい民族音楽学者を採用するまでは、ボラ ンティアとしてコレクションを管理することが自身のクレアナ(ハワイ語で「責任」の意)であると考えている。ドイツ語、フランス語、フィリピン南 部の方言であるタウスグ語を第2言語として話すトリミロス博士にとっては、音楽も同様に第2言語であり、生命線でもあるのだ。フィリピンで 育った彼は、4歳からピアノを習い、中国から来た子どもと連弾し神童 としての名声を博した。「私たちはアジアの『(ピアノデュオで有名な)フェランテとタイシャー』だったんですよ」と微笑む。その後、10数種類の 楽器を習得し、13本の弦を張った日本の箏を含む4つの楽器を今でも 演奏している。

入口にあるコンピューターの目録には、何が貸し出され、どこに 何を収納したかが記されている。 第2の段階は、新しい楽器を入手し、コンピューターに登録、そし て修理をするなど、コレクションの維持である。2年に1度、トリミロス博 士は「読み合わせ」と称して、失くなったり所在不明になったりした楽器 をチェックする。昨年は約30本の楽器の紛失を記録した。この作業に は2か月ほどを要するのだという。 トリミロス博士は1968年からアジア研究学部の学部長を務め、民族音楽学部でも教鞭をとった後、2011年にハワイ大学を退官した。 しかし、少なくとも大学が新しい民族音楽学者を採用するまでは、ボラ ンティアとしてコレクションを管理することが自身のクレアナ(ハワイ語で「責任」の意)であると考えている。ドイツ語、フランス語、フィリピン南 部の方言であるタウスグ語を第2言語として話すトリミロス博士にとっては、音楽も同様に第2言語であり、生命線でもあるのだ。フィリピンで 育った彼は、4歳からピアノを習い、中国から来た子どもと連弾し神童 としての名声を博した。「私たちはアジアの『(ピアノデュオで有名な)フェランテとタイシャー』だったんですよ」と微笑む。その後、10数種類の 楽器を習得し、13本の弦を張った日本の箏を含む4つの楽器を今でも 演奏している。

UH Mānoa is home to one of the largest teaching collections of non-Western instruments in the U.S.
ハワイ大学マノア校が所蔵 する西洋楽器以外の楽器は、全米でも最大級の教育 用コレクションだ。

トリミロス博士は、このコレクションが人間の想像力の無限性を どのように示すものであるかということに魅了され、それを学生たちに も伝えたいと考えている。たとえば、フルートというシンプルな楽器は、世界各地に無数に存在し、そのどれもの素材やデザインそして音色な どが文化的に異なっている。しかし、異なったバリエーション以上に説 得力があるのは、この楽器の持つ「つながる力」なのだという。トリミロス博士は語る。「これは民族音楽学のもうひとつの側面です。私たちは、もちろん違いにも興味はありますが、共通点にもたいへん興味があるのです。 何が音作りに血肉をあたえているのでしょうか?」