硬貨と貨幣の収集家や専門家の世界では、硬貨を手にすることは、歴史を手にすることを意味するのだという。 11月のある朝、私はハワイコ ンベンションセンターの3階で開催されていたハワイ州貨幣協会の第57回目のトレードショーに足を運んだ。 そこには、さまざまな硬貨や 記念品の他にも、ジュエリーやポストカードそして切手やガラス瓶な どがずらりと並んでいる。 ハワイ王国の硬貨は、南アフリカのクルーガ ーランドやアメリカ連合国の貨幣と一緒に陳列ケースに収められていた。 また、ハワイ諸島の砂糖きびプランテーションで1世紀にわたって 使用されていた「バンゴウ」もあった。 バンゴウには貨幣的価値はない ものの、歴史的希少価値から展示されており、実際の通貨がそれを持 つ者の経済力の表れであり、他者への力を否定するものでもあること を思い起こさせる。
ハワイ王国転覆後に流通しなくなった銀貨のひ つ、カラカウア王 の50セント硬貨。
ハワイ王国最後の君主、リリウオカラニ女王が描かれた代用硬貨
日本語の「番号」にちなんで名づけられたバンゴウは、通常真鍮 や鉄で作られ、片面にプランテーションで働く労働者の個人番号が刻 印されていた。 これは、アメリカの奴隷農園で使われていた名札制度に 倣ったものである。 バンゴウは労働者の人種毎に形が決められ、ペンダントとして身につけるようになっていた。 プランテーションのマネージャ ーは労働者を名前ではなく番号で呼んだ。 また身分証明書と通貨の代 わりとして、労働者はそれを使って給料を受け取り、洗濯をし、売店で買い物ができたという。
西洋との交流が始まり、ハワイ諸島ではさまざまな通貨が流通した。しかし、1ドル=100セントというアメリカの通貨制度にならったハ ワイの通貨が確立されたのは、1800年代も半ばの頃だ。1847年、カメハメハ3世のもと、ハワイ政府が初めて発行した公式貨幣は、大きな1セント銅貨だったが、すぐに地元商人の間で不評を買うようになった。 アメリカの影響力が強まってきた1883年、カラカウア王はハワイの主 権を再確認するために銀貨を発行した。そして、その銀貨はアメリカの 通貨と一緒に流通することになる。
1880年代にハワイ王国は、10ドルと20ドル、50ドルと100ドル、そして500ドルの銀券を発行。それらにはいずれも牧歌的なハワイ の風景が華やかに描かれている。500ドル銀券は、2枚のプルーフ(非流通印刷)が残るだけの芸術品で、帆船に挟まれた蒸気機関車と2枚の 楕円形の肖像画(左側はカラカウア王、右側はサトウキビを運ぶ人)が描かれている。裏面には王国の紋章の上に弧を描いて「ハワイ財務省」 の文字があり、その周囲にはハワイアンキルトを思わせる華麗なデザイ ンやモチーフが描かれている。ハワイは一時期、世界的な貿易を行う独立国家としての野望を抱いていたようである。
それから20年も経たない1893年、ハワイ王国は崩壊し、1904 年にはハワイ王国のすべての硬貨は法定通貨ではなくなってしまった。 その大半は回収され、鋳潰され、残った硬貨は宝石やピンそしてハワ イ王国の記念品に生まれ変わったという。しばらくすると、またもや大 量回収が行われた。1941年の日本軍の真珠湾攻撃後、ハワイ諸島で 流通していたアメリカドルが回収されたのだ。日本軍によるハワイ征服 およびアメリカ通貨没収に備えて、巨大な文字で「HAWAII」と刷り直された。
ホノルルのダウンタウンにある〈ハワイアン・アイランズ・スタンプ・アンド・コイン〉は、ハワイのコインやアンティークの専門店。 こうした古い手紙類も扱っ ています。
私は、ハワイ州貨幣協会のコインショーには、クレジットカード の読み取り機が1台もないことに気がついた。ここでは現金が「王様」 であり、昔ながらの現金取引が行われていた。ずらりと陳列されている さまざまな硬貨を眺めながら、店から店へと歩みを進める。 古代ローマの硬貨を見ては、イエスが弟子たちに「カエサルのものはカエサルに、 神のものは神に返しなさい」と掲げたデナリウスではないかと想像をめぐらせる。バンゴウを手のひらに載せると、一週間の労働に疲れたサト ウキビ労働者が、アロハ・フライデーに給料をもらうために事務員のカ ウンターにバンゴウを叩きつけ、「ビンゴバンゴウ!」と大声で叫ぶ姿が目に浮かぶ。
硬貨や紙幣の価値は、私たち皆が認めていることに他ならないわけだが、いま改めて貨幣というものについてより深く考えている。コインショーから帰宅後、好奇心に駆られ、ハワイ王国の通貨をさらに見てみ ようとネットにアクセスした。暗号通貨や非代替性トークンの広告を眺めていると、ハワイ王国の500ドルの銀券プルーフのうちの1枚がテキ サスでオークションに出品されていた。 入札による価格は、まだ決定さ れていないようだ。