物語に満ちた歴史

アール・デア・ビガーズの殺人ミステリー小説にちなんで名付けられた「ハウス ウィズアウト ア キー」のノスタルジーに浸る

The title of Earl Derr Biggers’ mystery novel was inspired by the hotel he stayed in, Gray’s-By-The-Sea, where guests weren’t given keys because, apparently, no one locked their doors in Waikīkī.
文:
エミリー・チャン
モデル:
ジョン·フック、ライラ·リー

ハレクラニのカルチャーアドバイザーを務めるヒイナニ・ブレイクスリーさんはホテルの前に立ち、カヴェヘヴェヘ水路のほうを向いて「そうやって殺人は起こるんですよ」と話す。1795年、ハワイ諸島の統一を目指したカメハメハ大王が軍隊をオアフに上陸させるために使った水路だと彼女は教えてくれた。ワイキキの岩礁の間を通る幅広の砂の水路は、波待ちをするサーファーたちの姿が見える “ポップス”と呼ばれるサーフブレイクまでまっすぐに伸びている。これがアール・デア・ビガーズ氏著の小説『ハウス ウィズアウト ア キー(鍵のない家)』で殺人を可能にした水路である。

 1919年、ビガーズ氏は今私たちがいる場所の近くにあったホテル、グレイズ・バイ・ザ・シーに滞在して小説の構想を練った。ハレクラニのバー&レストランのハウス ウィズアウト ア キーがこの小説にちなんで名づけられたことはよく知られているが、小説のタイトルそのものが、以前はJ・A・ギルマン氏の家だった彼の滞在したホテルが「鍵のない家」だったことに由来していることを知る人は少ないだろう。

The title of Earl Derr Biggers’ mystery novel was inspired by the hotel he stayed in, Gray’s-By-The-Sea, where guests weren’t given keys because, apparently, no one locked their doors in Waikīkī.
アール・デア・ビガーズ氏の推理小説のタイトルは、彼が宿泊したホテル「グレイズ・バイ・ザ・シー」から着想を得たものである。

 私は、同時代のレイモンド・チャンドラー氏の探偵小説は好きだったが、『ハウス ウィズアウト ア キー』は読んだことがなかった。1920年代に白人が書いた中国人探偵という設定から、映画『ティファニーで朝食を』でミッキー・ルーニーが演じた出っ歯のミスターユニオシのようなキャラクターを想像していたからかもしれない。ところがこの本を初めて手に取った私は、すっかり夢中になってしまった。探偵チャーリー・チャンのたどたどしい話し方には多少の不快感を覚えるが、そのキャラクターは多くの場面で最も観察力に溢れる賢い人物として描かれている。中国人排斥法の時代にあって、それは驚くべきことだ。ビガーズ氏は、当時ホノルルに実在した中国系アメリカ人の刑事、チャン・アパナをモデルにしていた。身長160センチで牛刀のみを持ち歩いていた彼には、たった一人で40人の賭博師を捕えたり、2階の窓から投げ出されて両足で着地したり、馬と馬車に轢かれたりといった伝説的なエピソードが尽きない。

 チャーリー・チャンによってビガーズ氏は名声を高め、この探偵を題材にした6冊の本と48本以上の映画が生まれた。だがこの本を読んで私が一番の魅力と感じるのは、1920年代のハワイを描いた静かな情景である。ビガーズ氏による当時の風景の描写の中に、路面電車についての以下のようなものがある。「ワイキキとホノルルの間の低い湿地の上を走り、膝まで水に浸かって辛抱強く屈んで働く人たちのいる水田やタロイモ畑を過ぎ、やがてキングストリートに入った。フォードのサービスステーションの近くにある怪しいポスターを掲げる日本の劇場を過ぎると、王国の宮殿とわかる建物の前を通る」。この本を読むと、およそ100年前にビガーズ氏がホノルルで目にしたものを想像できると同時に、何がなくなり、何が今も残っているかを知ることができる。そこには毎晩、登場人物が下でタバコを吸うキアヴェの木も登場する。1887年からハウス ウィズアウト ア キーのバーとレストランの前に立っているこの木は、2016年に倒れてからも変わらぬ強い生命力を見せ、今も成長し続けている。ホテル前の小さな砂浜にあるハレクラニ最古のハウの木についてもビガーズ氏は、100年前の当時すでに「時間そのものと同じくらい古いようだ」と『ハウス ウィズアウト ア キー』の中で書いている。

The character Charlie Chan launched Biggers’ fame, spawning six books and more than four dozen movies centered on the fictional detective.
チャーリー・チャンによってビガーズ氏は名声を高め、この架空の探偵を題材にした6冊の本と48本以上の映画が生まれた。

 時間そのものと同じくらい古いものとは一体何か。それはノスタルジーである。1920年代のハワイを舞台にしたビガーズ氏の描いた登場人物も、その昔を懐かしんでいる。「80年代、あの頃のハワイはハワイだった。老いたカラカウア王が黄金の玉座に座していた手つかずの喜劇オペラのような国。それが台無しになってしまった」とウィンタースリップは悲嘆のため息をつく。「本土の真似をしすぎた。自動車や蓄音機やラジオのような忌まわしい文明の利器が多すぎなんだ。それなのに、ミネルバ。この地下深くにはまだ水が流れているんだ」。

 ビガーズ氏がハワイを訪れてから間もなく、ハレクラニは現在のハウス ウィズアウト ア キーの場所にあったアーサー・ブラウン保安官の家を買収し、ビガーズ氏が滞在したホテルのグレイズ・バイ・ザ・シーも、閉鎖後に買収した。1920年代のワイキキは急速に変化していた。滞在中のビガーズ氏が最も愛したであろう夕暮れ時、私がハウス ウィズアウト ア キーでぼんやりしていると、当時に比べてはるかに多くの人や建物、そして機械文明が目に飛び込んでくる。それでも海の方を向いて、デ・リマ・オハナが歌うリリウオカラニ女王の「アロハ・オエ」を聞いていると、ハレクラニの地下深くの泉から今も水が流れ出てくるように、いにしえのワイキキの魔力にのまれずにはいられない。それはビガーズ氏が『ハウス ウィズアウト ア キー』の中で、これほど哀しい別れの歌はないと言っていた曲だ。いつの日か、世の中がどれほど変わってしまったことかと憂いながら、私たちは今のように、キアヴェの木のそばで過ごした日々を懐かしく思い出すことだろう。